言葉に捉われる

ワタシがホメオパシーに詳しいのには
最初のクラシカルホメオパスの先生との出会いがあります

ホメオパシーの勉強って
どんな時にどのレメディを使うというのが勉強というよりも
むしろその中にある人間の物の見つめ方とか受け入れ方とか
そういうことが中核というかほとんどを占めているんだろうと思います

それで、最初の先生が
主にワタシに教えてくださったのはこのあたりのことでした

私達はというか動物も含めてかもしれませんが

ことに人間は「言葉」を使う生き物です
もちろんワタシもそうですが

しかしこの言葉ほど強力なものはありません

言葉と言うのは何かを限定する力があるので気をつけないといけません

歴史的にみてもこの言葉の悲劇は多くのことを招いてきました

人間というのは
知らず知らずにある象徴的な言葉に従ってしまうところがあるからです

ましてやある影響力のある人間がいうと
ますますそういうオーラを帯びることがあります

でも、どこかで言葉をそのまま受け取るよりも余白を残しておいた方がいいんです

どんな場合もそうです

だから本当は言葉に従うよりも感覚に従った方がいいんです

その感覚は本人にしか分かりません
自分の人生や命っていうのは自分で背負っているんであって
他人が背負っているわけではないんですよ

だから自分の感覚に従って選ぶことです

人間はどんな領域においても無理はできないです

ピンと張った弦ほど切れやすいものはないですよ

上手くいかない時や無理している時はそこを見るとよいと思います

ある外側の言葉に自分を合わせてはいないかどうか
外界の影響力のあるものに引っ張られてはいないかどうか

これはナゼ今日このことを書いたかというと
ある理由があって書いたんですが

無理しても合わせられる状況にあるならいいんですが

そうではない状況なのにそうしようとするのは
本当に無理があるんですよね・・・・

ここは本人にしか分からないんですよ

全ての事は状況次第です
状況と言うか感覚に合わせないとまずいです
(・・・・といって、これもワタシが言葉で限定しているみたいだけど)

こうならばこうとかっていうことは本当は言えないんですよ

でもそうしないと答えがないようなので
そうならばそうと言った方が答えのようで分かりやすいんですが・・・

でも答えはあってないようなものです

自分の感覚に合わせた方がいいんです

今の人って言ったらいいのか今も昔もなのか、どうなのか分かりませんが
人間は外界の影響を非常に受けやすいです

人に認めてもらいたいとか受け入れられたいとか周りに応えたいとか
そういう欲求の強い生き物なんだと思います

なんていうんでしょう、社会から隔絶感を味わいたくないっていうんでしょうか
そういうところがあるんだと思いますが

だから無理をしてでも走り続けようとするというか

ここはねぇ、私みたいに何度も堕ちるとわかるんですが
あまりこだわるところじゃないんですよね~

どうでもいいっていったら、これまた言い過ぎかもしれませんが
ここはたいしたところではないところです

元気ならあんまりも無理もないでしょうが
そうでない場合はやっぱりそこに応えようとするのは行き過ぎてます

そこはもっと客観性というか余裕をもってみた方がいいんです

言葉に捉われないように・・・というのはワタシが最初の方に学んだことですし

それを聞いてきたからこそ分かるような現実ってありますね

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