無知と気づき

戦争について思うこと

ワタシは個人的にというか、戦争についてはどこかで接点がありました

もちろん、どの人も接点というのはあると思うのですけれど

特に戦争について考える機会は割と多かったのではないかなと思います

原爆の落ちた街にも住んでいましたし・・・

戦争についての語りも自身がナレーターのような役目で
中学校の時やった覚えが微かにですがあります

ホメオパシーを知ってからは特にこの戦争がナゼはじまったのかという

人間の盲点についても深く追求するようになりました

現在の日本では戦争はありませんが

でも、戦争が無いかわりに作家の五木寛之さん的な発想でいえば

心の戦争のようなものは、この世界で全く終わってはいないのだと思います

あの時、国家として戦争に突入していた頃の意識と変わらないような
意識選択をしている可能性が充分にあるのだということに気づきました

あの時代でも、地図を見れば日本は小さな島の集まりでしかない国であるのに

大国に挑んで支配しようというような愚かな考え方に至る方が、まるで滑稽な話であるのに

総国民で戦争に突入していったのです

あの時代でも戦争はおかしいと思っていた人たちはいました
それでも、それを言うことすら許さないような軍国主義の中にありました

支配しなければ支配されるとういう恐れ
やられたらやりかえすの歴史的連鎖

小さな国の中でさえも、ずっとある種の支配関係から脱することができず

他者と自身を尊重して、
シナジー的に世界をつくっていくという発想にはいきつきませんでした

それは「無知」と「気づきのなさ」からきたものなのでしょうか?

それでもその無知と気づきのなさも今も人間は大いに抱えていると思うのです

赤信号みんなで渡れば怖くないというか

赤信号みんなで渡れば青信号というか

赤信号も青信号にしか見えていないことはたくさんあると思います

かつての戦争もそんな錯覚から入っていったように思うのです

みんなが普通にやっているから、
それは当たりまえの世界になるようなことはたくさんたくさんあります

例えば予防接種だって、そうです

みんなが受けているから、自分も受けなきゃいけないとか・・・

これは病気を防ぐものだと教えられているから、そうしているとか・・・

他にも印象的だったある番組から思ったことですが

貧しい地域に日本人のボランティアの人たちが井戸を掘ったことによって

かえって、その地域に住む人たちの健康状態を悪化させたということも知りました

ようするにその水が砒素に汚染されていたのです

そのおかげで、その地域の家族の人達は手足を切断し中毒のため
虚ろに生活をしている事実を知りました

専門家にいわせれば、何もそんなに井戸を掘らなくても
地下よりもっと上部のその地域にあった水を誘導することによって
、生活水は確保できたと思うという話でした

善意をもってして、こういう結果を招いてしまっては

善意どころか、貧しいと決めつけて、とんだ一方的なおせっかいのうえ、
その地域の人のもとからあった生活や自然環境、人としての尊厳も何も守ってあげてはいない

土足で踏み込んでしまった状態でしかないと思いました

こういう認識では戦争をしていた頃と何ら変わりない人の在り方ではないかな?と思います

何か勘違いしたらいけないな~と思います

日本人はそういうところがあるような気がします

自分たちの世界観だけで、自分らを優れた人間だと思いこんだり

他の国より、豊かだからといって見栄をはったりとかってあるような気がします

貧しく昔ながらの生活をしていることが=不幸せとは限らないですしね

豊かな人間が何かを提供するにしても、その国の尊厳というのは尊重しないとと思います

今となっては日本人もこのくらいの認識はできはじめたと思いますけど

・・・・といのは、豊かさを追求して大切な何かを
失ったというぐらいの気づきはもうあちこちでありますからね

無知と気づきというのはワタシのとっても一生のテーマだなと思っています

歳を重ねたからといって、気づくという訳でもないこともありますし

情報がちゃんと出ているからといって、
それをキャッチできないこともままあるし

知ろうとして知れることもあれば、自ら知ろうとしないこともあります

無知と気づき・・・

これは人間の永遠の根源的な学びのような気がするのです

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