どこが中心点?

最初に出会ったクラシカルホメオパスの先生との間で交わされたことは(受け答えに関して)
ここでは書ききれないほど、重要なことがたくさんあった

先生は私にとって最高の教師だったと思う

ここで多くのことに改めて気づいた

もやもやしていたことが、昇華された感じがあり、幾つもの答えを出してきた

ホメオパシーをやっているからといって

迷いが無い訳でもなく、悩みが無くなる訳でもない人生の中で

ここで多くのことに気づかせてもらい、また教えていただいたことは

自分にとっては一生の「宝」となっている

あの世には何の一切の「物」を持って行くことはできない中

その中で「心」だけは持ち運び自在の中で

そこに持ち運びできるほどの、多くの宝を得ることができた

ワタシの人生では度々命題があり

ほとんど、いつもそこがネックになっていると思われることがある

やはりそれは人間関係の中から浮かび上がるものだと思う

何度も書くように、ワタシは近年ホメオパシー他、自然療法やセラピーを学んだというか

こういったことをベースに人生を生きる人と共に、時間を共有することが多く

その、あまり話の論点が相違するということがなかった

いわゆる、ここにきている人の多くが、
人生で非常に悩み苦しみ体調を悪くした経験などをプロセスとして経てきたベースがあり

そこから、何かを考え行動する人たちで

おそらく自分の人生と共鳴した為と思われる

大方、ここにきている人は学ぼうとする気持があり
自分を深く内観しようと日々努めようとするので、

自分勝手な解釈ばかりをしようとは思っていない

特にホメオパシーは、その傾向は強いと思われる
(ただホメオパシーをやっているからといって、最初から様々な気づきがある訳でもないけれど)

ところが、まぁ一般的な大半の人はそういったことを自ら努めてやる訳ではない

人間だから色々思う事はあれど、置き去りにされることがほとんどだ

どのくらいどういう方向性で自分自身が自己中心的か気づいている人はそうはいない

そうすると、話をすればするほど様々な話の論点が
自分とはズレてくることになる

人の事は変えられる訳ではない

自分が変わったからといって、人まで変わったりはしない

ただ自分が変わる事で、言われている通り、様々なことが確かに変わる部分もある

しかし本質的なところまでもが、変わることは実際には難しい

これは個々の人間の気づきと実践の問題なのだ

ホメオパシーの診察の際のカウンセリングシートのようなものに

アナタが一番大切なものは何ですか?の問いがあった

ここで各人はなんと答えるだろうか?

ワタシは

心です

と書いた

ここだ、ここがネックなのだ

みすみす枯れると思われる木に、水をやり育てた方がいいのかどうか?

このみすみす枯れる木は、実はあらゆる条件を満たせば枯れることはない

ただ、その条件というか、
土壌や他の要件を満たしてないというか、満たすことに努められない場合はどうするのか?

枯れると分かっていることを育てることに意味があるのかないのか

本心から心(気持ち)さえあれば、この木は枯れることがない

ただこの気持が自己中心的な気持ちであって、水もあまり必要のない木であるのに

気持ちをやりすぎて水をやりすぎれば、いずれ根腐れを起こす

さぁ、さて心というのは様々なことを現わしている

人の事を思っているようでいて、実は自己中心的で、

「自分の都合のいいようにしか」

相手を捉えていないこともある

しかし、ここはもうホメオパシーをやっていれば、自ずと気づくところだ
(自身に対しても、他者が自分と関わってくる際にも)

割れた器にいくら水を入れても、それはこぼれ落ちるしかないのだ

完璧な人などこの世界にはいない

思うほどいい人というのも存在はしない

そんな中で、どこをどう努めるのか、手放すのか

どうやら、これはワタシの永遠のテーマのようです

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コメント

そうだなと思いつつ

読ませていただきました。
正直、私の周りに私と同じ感覚の人はいません。(娘とかろうじて息子くらいかな)
見る視点が違いすぎるのと生きている空間が違うというか5段くらいに分かれていて違う段にいるので交わらないというか
以前は私も今と違う段にいて
何かのきっかけで今の空間にやって来たみたいな・・・

未だに色んな事でもがき苦しんでおります・・・(汗)
捨てるべきか離すべきか切るべきか
繋ぐほうがいいのか

自分に利益があると思うと相手を利用したり要求します。
そして人は心を病んでいくのかなと

人の心の裏側が見えてしまったときすごく動揺してこの先どうつきあったらいいのか悩みます。
嘘がばれたとかだといいのですが
普通に話しているときに本当の心が見えてしまうときがあり「気のせい?」なんて思うのですが間違ってないようです。
誰しも欠点はあるし弱いところはあるのでそれはなんとも思わないのですが
仮面をかぶっているようなタイプの場合は悩んでしまいます。

私のテーマはなんだろう?

私も損得勘定をしてしまう性格なので(たぶん)こんな自分はいいのか?なんて変な風に考える奴です・・・(大汗)

2009/09/13 (Sun) 14:29 | ももまん #nQ5bPT7s | URL | 編集
ももまんさんへ

ももまんさんの書かれていること、よく分かるな~と思って読みました

やっぱり波長の周波数の問題とか、あとは気づき、
内観する気持があるのか、無いのかといったそういうことなのかもしれないですね・・・

こういったことは一生のうちでは、
皆、多かれ少なかれ、人間関係の中で悩んだりするところなんでしょうね・・・

そうですね・・・
裏というか、都合の良さというか、
嘘じゃないだけに、やっかいですよね

きっと、まぁ、皆そういう部分はあるとは思うんですけど、あとは内観できるかどうかというか
気づきがあるかどうかなんでしょうね~

ももまんさんの書かれている「動揺」って、ここが大事なような気がします

ここがお知らせなようなものかもしれないですよね

ワタシはあえて、このブログで人間の「善」については触れたりはしないんですよね

どんな人もキレイな訳じゃないから
そのあたりどのくらい把握できるかどうかっていうのは、人間関係で大事かなって気がしますね

2009/09/13 (Sun) 20:37 | orengewood #- | URL | 編集
思ったことを書いてみます

『アナタが一番大切なものは何ですか?』

何だろう、今の自分ならなんて答えるだろう・・と悩みながら読み、
はっきり『○○○』と言葉にできる答えが出てこない自分に出会いました・・


人は変えられない。
これは本当にそうですね。自分が変わるしかない、というか、その方が簡単なんですね。

あとは、自分の幸せを真剣に考えて
本当に切るものは切って行くしかないのだと私は思いますね~、深い所では。
「限られた時間の中で、そこにかけるエネルギーはないよ、他に使っていくよ」って。
でもきっと、そこに関わることが必要であれば
切りたくても切れないのかも??
う~ん、難しい・・

でも、そこまで深い関係ってのはなかなか築けないから、
ある程度の浅さの付き合いの中ではかえって大変ですね。
見え過ぎ、気づき過ぎ、いろんなことに敏感になっていくと
ある意味すごく生き難いことも多かったり。

(なんかテーマと合ってるのか自信ないですが・・)


生まれてくるってことは結局、
みんなそれぞれ段階(魂の年齢?)は違えど
完璧でないからなんでしょうね~。

どんな世界で生きるか、望む世界があるなら
自分で近づくしかないのだな~と
まさにその苦しさの真っ只中にいながらも思います。

2009/09/14 (Mon) 00:36 | ★pinoco★ #izBYTLfk | URL | 編集
pinocoさんへ

ハッキリ言葉にできないというのも、1つの答えですよね~

ワタシの場合は、ハッキリとして、こういうことは言葉に出るようになったと思いますが
ただ、「心」って色んなことを現わしていると思うので、そのあたりを深く追求した時に、
簡単な答えは出せなくなったのかな~と思います

pinocoさんのコメントもよく書かれてあること分かります
こういった話は深いですよね・・・

分かりすぎて生きづらくなるってことはプロセスの途上では、あると思います
でも、たぶん、それはプロセスが完了すれば、そこに過剰には反応しなくなるのだろうと思います

ただ、そこまでですよね(苦笑)

そこまでが、大変というか、まぁでも後で振り返れば、そこあってこそなんですけどね

これは風邪とか感染症の免疫がつく話と同じようなものだろうと思うんですよ

望む世界があるのなら、自分で近づくしかない・・・ワタシもそう思います

やはりそういう意味では、「思い」を大切にして生きていくことは、やっぱり大事ですね

2009/09/14 (Mon) 12:37 | orengewood #- | URL | 編集

そうですね。本当に。
私も一番大切なもの、の考え方がホメオパシーを始めて一番変わったかもしれない。
一見全く違ったタイプの人間同士でも、根本の部分で同じテーマを持っているもの同士であれば、多くを語らずとも分かりあえたり、逆に表面に見えるものが同じようでも根本が違うとどうしてもうまく伝わらなかったり、血がつながっていても必ずしも同じ感覚を持ち同じテーマを追っているとは限らないのですね。

自分でも以前はその微妙なところがよくわかっていなかった気がします。
今はよくわかる。(自分なりにですが)
だからとても感覚を大切にするようになりました。
頭で考えると、いろいろと条件が出てきてしまって、本当の答えではなくなってしまうから。
これが自分にとってきっと大切なこと、と思う感覚を信じてすすんでいきたいな、と思います。
それが多分自分にとってのテーマであり、そうすることで悔いも抑圧もない生き方になる気がします。
まだまだ日々学び気づいていかなきゃいけないことだらけかな。

2009/09/14 (Mon) 21:35 | yururi #- | URL | 編集
yururiさんへ

そうですね、yururiさんが書かれているそのあたりの微妙なところが、以前はワタシもよく分かっていなかったのだろうと思います

でも今はワタシも、そこはよく分かってきました

感覚を大切にするということは、生きていく上で理屈抜きに大事です
恐らくここほど、的を得たところはないと思います

この「感覚」は実際には、自然の摂理に添っているんですよね、だから実は感覚のようでいて、もっとも道理が立っているんです

調べれば、一番科学的根拠に基づけるほど、確かなものです

ワタシの場合振り返ってみても、この感覚に沿わなかった場合が、ことごとく後悔や抑圧となっています

ワタシもyuruiさんと同じく、思いというか感覚を大事に生きていきたいと思います

2009/09/15 (Tue) 18:10 | orengewood #- | URL | 編集

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