グラウディングについて

スピリチュアリティな世界でよく言われるグラウディングについて

いかにスピリチュアリティが高くても、現実にグラウディングしていなければ
フワフワとして、地に足がついておらず、自身の世界観に陥りやすい・・・・

そんなようなことかなと思います

スピリチュアリティとは、一種の宇宙観のようなもので、

その感覚が、いかに日々の生活に活かされているのかということでしょうか?

まぁ、しかし地に足がしっかりつきすぎて、執着心ばかり強いことを
真にグラウディングしているとは、言い難いとも思いますし、

簡単に言葉には書かれていても、ここが上手くできている人というのは、
実際にはそうはいないのではないでしょうか?

ちょっと、我が家のことで考えてみたのですけれど、

我が家の牛は、この3年で非常に「変化」しました

これは、自分の目では確かなことだった訳ですが、
これが他人様の目から見てどうかということも、判断材料の1つでした

自分の世界の中で、変わったと思っていても、人から見て変わっている風に見えなかったら

それは自分の頭の中だけでの変化の世界です

3年目の春先頃から、
見に来られる人の多くが、ここの牛が変わったという言葉を聞くようになりました

ここで、まず1つ目がクリアされたと思いました

そして、今度は品評会や共進会、もしくはセリ市場に出して
どういう評価を受けるのかということも、これは大事なことだと思いました

ワタシは、我が家の牛をスピリチュアリティな側面を大事にして育てたつもりですが

それが、世間というか社会ということで、どう評価されるのかということは

いわゆるグラウディングしているのかしていないのかということを
知る上に大事なことでした

これは世間の目を気にするとか評価を気にするということとは、また別の意味です

牛の世界ではというか、市場では、当たり前のように

そこはスピリチュアリティな感覚ではないというか、そういう勉強をされてきていない人達で
一般の方達がいる場所です

牛の世界の人達で、第三チャクラが・・・とか第六チャクラが・・・とか言ったりする人はいない訳です
(ひょっとしたら、いるかもしれないけど、多くはないよね・・・)

それで、ここが大事な訳です

誰が見ても、どんな人が見ても、それがいいとうつるものが

真にスピリチュアリティの高いものだと思います

ある特定の人に好まれるものではない

本当にスピリチュアリティが高いものなら、

それは宇宙観に根ざしたものなので、どこからどう見ても、誰がどう見ても

よく活きているように見えるハズだと思ったのです

そこで、ワタシは社会というか世界というところで、
多くの人が見て、どういう風に我が家の牛がうつるのか関心がありました

そういう意味で評価や結果というのは大事だと思ったのです

自分の頭の中だけの世界観で、いいと思っていても、他人から見てそう思えないのなら

それは、まだまだ、変わっていないことなのだと・・・

変化ということや目覚めについても、同じことです

自身で変化しました、目覚めましたと言ってみても
それは、まだ不確かです

例えば、親が目覚めた場合、その子供が変化するハズで

なおかつその子供の変化を、まったくの第三者が、この変化に気づいた時に

本当の変化がはじまっているといえます

このあたりが、グラウディングとも結びついているように思います

それも、これが触発的に起こるのではなく、まぐれで起こっているのでもなく
常に持続して、安定的にそういうものをつくりだせるということ、

信頼と信用のあるものを提供し続けられるということが大事なことかなと
(時間がたって、信用と信頼をなくすようなものではなく・・・)

そういう一連のプロセスのことを、グラウディングするとかしないということなのかなと解釈しています

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