果てるものにも

ふうせん

以前は、枯れるものとか果てるもの・・・・などに、心を寄せることもなかったのだけど

枯れることも、また生命力の賜物なのね・・・と、感慨深い

作家の五木寛之さんの本は一時期ワタシの愛読書だったのだけど

喜びは特に意識しなくても、

楽しいのだから、細胞がワクワクするものだけど、

悲しみや苦しみなどの負と言われるような感情も、
また喜びや楽しみと同じように細胞を活性化させるらしい・・・ということを知った

育ちや学びの為には、
プラスの要素もマイナスの要素も、経験として、
結局は、どちらも同じように大切な事なのだろうと思う・・・

すべてのものには両面性があり、それが幾重にも重なりあっている存在だ

写真のふうせんはいずれ、枯れて、土に落ちる
(これだけみると、なんとも侘しい感じがするのだけど)

でも、この中には、種があり、来年、再び、土から芽をだして、

そのうち、黄緑色のふうせんが成長し

風に揺られて、そよそよする瞬間は、なんとも素敵に思える季節を迎えることになる

しかし、その映えた緑の瞬間も永遠には続かない

すべての事に、意味がある・・・

ハーネマンの言った最期の言葉、

「私は無駄には生きなかった」と、

なんだか同じ様な事を、写真の枯れかけたふうせんも言っているような気がする
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